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五条天神と天使の突抜通り

先日歩いたのが 大通りを繋ぐ辻子(ずし)と言う道でした。
基本的には道の向こう側まで貫通されているそうですが、稀には通り抜け出来ない辻子もあるようです。
そして露地(ろーじ)。
こちらは行き止まりの道で、路地の入り口には敷地内の住人の名前の表札がかかっていることが多いと言うので観察しながら歩いているとそんな露地も結構 見つけることが出来ました。
そして辻子とは違い、一般的に障害物を取り壊し突き抜いて作られた道を突抜と言うそうです。
京都には天使突抜通りと言う可愛らしい名前の道があると知り仏光寺通りを歩いているとちょっと不自然に細い道が伸びていました。
両側の塀や民家が迫っていて細い道です。
つらつらとまるで辻子のような道を歩いて行きますと、
高辻通り沿いに何やら石碑があるので覗いてみると比叡山の僧侶の道元禅師に関わりのある場所のようです。
調べてみると
1252年(建長4年)、夏頃から体調を崩され、翌年には永平寺を懐奘(えじょう)禅師にゆずられます。8月には療養のため京都の俗弟子、覚念の邸宅へ行かれましたが、治療の甲斐なく1253年9月29日(陰暦8月28日)に54歳でその生涯をとじられました。
とのことで、弟子の覚念僧侶の邸宅跡のようです。
後程 入った喫茶店のマスターのお話では毎年亡くなった日には比叡山より僧侶が来てお祈りされているそうです。
道の名前のある看板を見つけたのでパチリしながら更に歩いて行くと松原通りまでやって来ました。
松原通りと西洞院通りの辺りに鳥居が見えて来たので行ってみると
五条天神さんでした。
牛若丸と弁慶の出会いの場所がこのあたりであったので松原通りにはこんなものもありました。
一般的には天神さんは菅原道真を祀っていますが、ここ五条天神では天からの御使いとして大国主命と協力して国造りに尽くした少彦名命(すくなひこな)が祭られています。
さる本を読んだ時に書いてあったのは、このすくなひこなは古代神話によると、常世の国から天を飛ぶ船に乗ってこの世に往来して国造りをしたそうですが、その姿形がとても小さかったそうです。
ですがら一寸法師と重ねられているとかないとか。。
平安京に遷都するにあたり桓武天皇が奈良から呼び寄せ都の守護を託したそうです。
ですので、天使の宮、あるいは天使社と呼ばれていましたが、後鳥羽院の時代に五条天神宮と改められたそうです。
その五条天神に999本の刀を奪った弁慶は1000本目に極上の刀が手にはいるように祈っていると牛若丸(源義経)に遭遇したそうです。
牛若丸のお話では五条大橋の上での出会いとなっていますが、かつての五条大橋は今の松原橋ですので、ここ五条天神での出会いと言う方が真実なのかなと思われて来ます。
少し疲れので天使突抜と五条天神の間にある喫茶店で一休み。
喫茶店のマスターから天使突抜町は一丁目から四丁目まで500メートルほどあると教えて頂きました。
この通りの正式な名前は東中筋通りなのですが、豊臣秀吉の時代に平安遷都からの由緒ある五条天神の境内を分断して突き抜いて道を作ってしまったそうです。
天使社の中を突き抜いたので天使の突抜と言うことなのでしょうか?
名前のニュアンスとは違ってちょっぴり怖いお話でした。
喫茶店のマスターが天使突抜町に暮らすマリンバ奏者の通崎睦美さんがこの街で暮らすが故の体験談を綴っておられると教えてくださいました。
いったいどんな体験なのかな?と本を読んでみたくなりました。


by mrsylondon2005 | 2016-11-11 22:06 | 旅行

ロンドンの四季を通して、心豊かな日常を綴ります


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